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吾輩は猫である_八 - 9

夏目漱石
日语读物
总共148章(已完结

吾輩は猫である 精彩片段:

八 - 9

吾輩はすでに小事件を叙し了(おわ)り、今また大事件を述べ了ったから、これより大事件の後(あと)に起る余瀾(よらん)を描(えが)き出だして、全篇の結びを付けるつもりである。すべて吾輩のかく事は、口から出任(でまか)せのいい加減と思う読者もあるかも知れないが決してそんな軽率な猫ではない。一字一句の裏(うち)に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々(そうそう)連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話(さだんせんわ)と思ってうっかりと読んでいたものが忽然(こつぜん)豹変(ひょうへん)して容易ならざる法語となるんだから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとに一度に読むのだなどと云う無礼を演じてはいけない。柳宗元(りゅうそうげん)は韓退之(かんたいし)の文を読むごとに薔薇(しょうび)の水(みず)で手を清めたと云うくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹(じばら)で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したい。これから述べるのは、吾輩自(みずか)ら余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんに極(きま)っている、読まんでもよかろうなどと思うと飛んだ後悔をする。是非しまいまで精読しなくてはいかん。

大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤(とう)さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自宅(うち)へ帰るところ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両人(ふたり)がばったりと出逢ったのである。近来は金田の邸内も珍らしくなくなったから、滅多(めった)にあちらの方角へは足が向かなかったが、こう御目に懸って見ると、何となく御懐(おなつ)かしい。鈴木にも久々(ひさびさ)だから余所(よそ)ながら拝顔の栄を得ておこう。こう決心してのそのそ御両君の佇立(ちょりつ)しておらるる傍(そば)近く歩み寄って見ると、自然両君の談話が耳に入(い)る。これは吾輩の罪ではない。先方が話しているのがわるいのだ。金田君は探偵さえ付けて主人の動静を窺(うか)がうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したって怒(おこ)らるる気遣(きづかい)はあるまい。もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聴いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。

「只今御宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所で御目にかかりました」と藤(とう)さんは鄭寧(ていねい)に頭をぴょこつかせる。

「うむ、そうかえ。実はこないだから、君にちょっと逢いたいと思っていたがね。それはよかった」

「へえ、それは好都合でございました。何かご用で」

「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいいんだが、君でないと出来ない事なんだ」

「私に出来る事なら何でもやりましょう。どんな事で」

「ええ、そう……」と考えている。

「何なら、御都合のとき出直して伺いましょう。いつが宜(よろ)しゅう、ございますか」

「なあに、そんな大した事じゃ無いのさ。――それじゃせっかくだから頼もうか」

「どうか御遠慮なく……」

「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃないか」

「ええ苦沙弥がどうかしましたか」

「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸糞(むなくそ)がわるくってね」

作品简介:

夏目漱石《我是猫》日文原版。

1867(慶応3年)、江戶牛込馬場下(現在新宿区喜久井町)に生れる。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学した。留学中は極度の神経症に悩まされたという。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、「吾輩は猫である」を発表し大評判となる。翌年には「坊っちゃん」「草枕」など次々と話題作を発表。’07年、東大を辞し、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

作者:夏目漱石

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